2013年11月7日木曜日

2009年・予行演習のときのはなし


3年前・2009年に、この旅の下見を兼ねて来た時の話を、雑誌に載せて頂いたときのものです。
あの時はまだ、実現できるかわからなかった。

できれば今回も、部分的にでも息子を連れ回したかったなぁ~。
オージーの人たちは、家族で長距離の旅行をするのはごく普通なんで、私に子供がいることを知るとみんな聞くんです。

「なぜ子供を連れてこなかったんだい?」









どうしてもPDFを大きくするやり方がわからないので、下に原稿貼っときますね。
文はですますコトバだと長くなるので、短くなるように書いてあります。(苦笑)


【挙動不審家族の【お正月】オーストラリア《弾丸》ツーリングレポート】in アウトバック


【プロローグ】

私は旅が好きだ。そこから様々な事を学んだ。そして、それは徒歩が基本だと思う。

けれども体力や限られた日程、人数、行き先など条件を考えると、交通機関や乗物は行動範囲を広げてくれるし便利だ。そして、いろいろなスタイルがあったほうが面白い。

私は日ごろ身を粉にして働く、そこらにいる働き盛りのくたびれたオヤジだ。もちろん小市民である。

わが家はよく自動車で旅をしたり、釣りや遊びにゆく。
そして、その中で眠る。

休日が不安定な私にとって、交通や宿泊の予約がいらないという事は時間に縛られずに、より遠い所へゆけるという事であり、気がすむまで気に入った風景や場所を楽しめるということでもある。



師走に入る頃、旅行代理店からオーストラリア行きのキャンセル待ちが確保できたという連絡が入った。
日ごろ段取りが悪い私の、取れないはずの航空券だった。

「よぉーし、行くか~。」正月は息子と釣りにゆく約束だったが、状況が好転するという事は、タイミングが巡ってきたという事なのだろう。



出発前夜、私は息子と一緒に入浴しながら、明日からの旅について話していた。

「明日からの旅行は、普通は出来ない貴重な体験や楽しい事があると思う。
けれども大変なことや、いやな事もあると思うんだ。
そういう全ての物事を体験する時に、いちばん大切な心構えがある。

それが何かわかるかい?ひとことで言ってごらん?」


息子は少し考えた後、「・・・楽しむこと?」と言う。


私はその時、まさに今回の旅から体験させようとしていた事のひとつであり、
これから生きてゆくためにも、極めて重要なエッセンスであるその事を即答できた彼に、
成長を感ずると同時に感心した。



その翌日、2009年12月29日。
私は12歳の息子・潤と二人でオーストラリアの荒野・アウトバックを目指した。


これから話すレポートは、その時起きたことや感じた事などの記録です。
今でも思い立った時旅に出たいと思うし、遠くへゆきたいとも思う。
けれども、なかなか実現しにくい理由がいくつかある。

その一つが時間だ。
歳を重ね家庭を持ち、社会的な責任が増えるにつれ、自由に使える長期の時間を確保するのは難しくなった。

私が無理なく確保できる最大限の休日~年末年始の一週間で、
今持っている願望を、どこまで実現できるかが今回のテーマの一つだ。



今回の旅はオーストラリアの中央部、有名なエアーズロックがあるレッドセンターと呼ばれる地域にゆく。
本当はこの行程だと2週間は欲しい。
国が広く国際空港から陸路では一週間でこの行程の消化は不可能なので、シドニーから国内線に乗継ぎアリススプリングスへ空路で乗りこむ。


気の置けない友人が「日ごろ忙しいんだしさぁ。そんな変なのじゃなくて、あったかい南の島で、ゆっくりして来たらぁ?」と助言をくれた。
・・・まったくそのとおりだ。(笑)


私は帰る日が決まっている旅の場合、幾つかのテーマ以外は日程が短いほど細かい予定は立てない。時間をトレースする旅になってしまうからだ。


そして、起こるハプニングを楽しみ、それがトラブルへ変わらないように細心の注意を払う。


今回はエアーズロックへの登頂とアウトバックのダート走行・オール車中泊の他はまだ何も決めていない。
丸一日走れる日は3日間しかないのに走行予定はおよそ1500kmの、まさに弾丸ツアーだ。

今回はどんなハプニングが起こるのか。期待に胸がおどる。



【到着初日】

前夜、成田を発ち機内泊。早朝シドニーに到着した。
日本のほぼ南に移動したので時差ぼけはない。

そのまま国内線に乗り換えアリススプリングスに向かう。
飛行機では2時間半程だが、車で走ると一週間はかかる。

雲の下が緑から赤茶色に変わるにつれ、なんだかソワソワしてくる。(笑)
昼過ぎ、機内預けの荷物を受け取りエアコンが効いた空港のロビーを出ると、真夏の太陽だ。
気温は38℃。日本とは季節が反対なので当たり前なのだが、十数時間前は霜が降りていたのに、なんとも不思議な感覚だ。
湿度が低いので日本の真夏のような、湿気に閉じ込められるような不快感はない。

早々にタクシーでレンタカー会社のオフィスへ向かう。
車内から行き交う車を眺めていると、ここはアウトバックと呼ばれる砂漠の街というせいもあるのだろうが、小型車は4WDの車が多く目につく。
そのなかの大半はTOYOTA、その大半はランクル、そのまた大半は70系だ。
スペアタイヤを2本背負う車も多い。
ここでは堅牢さという項目が、重要な価値基準の一つだと感じる。
慣れている愛車で走れれば理想だが、航送や手続きなど考えると実走5日間では現実的でないので、今回はレンタカーを選んだ。

到着すると、広大な敷地に大きなファクトリーを持つ、整備に信頼の置けそうな会社なので安心した。広い駐車場に準備が完了し、出発を待つキャンパーバンやモーターホームが、ずらりと並んでいる。
日本ではキャンピングカーのレンタルというとかなり特殊だが、自動車で旅行し休日を楽しむ文化が発達しているオーストラリアでは、ごく一般的だ。
わが家のスタイルで旅をしたい場合に、渡航時に手荷物を最小限に出来たり、今回のような1日の走行距離が長い場合に、設営の展開・撤収が早い事もこの車を選んだ理由の一つだ。

予約してあった今回の相棒は、ランドクルーザーのキャンピングカーだ。
決して広くはないランクルにベッドやシンクコンロ、フリーザーに食器や寝具・網戸・遮光カーテン・トースターや湯沸しポットまでもがコンパクトに装備され、
果てには、屋根が垂直に昇り、どてっ腹からテーブルやシンクコンロが、飛び出す絵本のように出てくるその車に、私は度肝を抜かれ子供の頃、超合金ロボットで遊んだ時のようなとても楽しい気分になった。
旅行の注意点や周辺の地図・宿泊地・店・観光地情報などの資料が、たくさん挟まったブックレットまでもが無料で貰えるので、手ぶらでもすぐに行動が可能だ。

担当のジュリアという若い女性が、手際よく手続きと車のチェックをしてくれる。
燃料や水タンク・ガスボンベなど全て満タンにしてある。
オドメーターは5.7万km。ランクルとしてはまだ新車の部類だ。
レンタル車として過酷に使われているはずだが、車内外は清潔に清掃されて、泥やゴミは見当たらない。

DVD鑑賞による車の操作説明と含めて、一時間ほどで手続きは完了した。
受付カウンター横の壁に、全土の地図が貼ってあり、北西部の道が赤ペンで、斜めになぞってある。
キャニング・ストックルート。

長い距離だ。今回のレンタカーではルールでその道には入れない。
また、他にも指定された遠隔地の道に入るには事前の承諾が必要だ。

それはトラブルの際、リペアサービスやピックアップ、緊急時のレスキューが極めて困難だからだ。
「もし自分の車だったら、私はその道を走れますか?」と聞くと、
「とても難しいわ。ここは長いので数台で荷物や負担を分担しながら走るの。
信頼できる仲間と十分な装備と経験が必要よ。

・・・それに今は暑すぎて、死神がすぐ近くにいるわ。」そう言って明るく笑った。


出発前に、いくつか書き留めておいた質問をすると、店や買い物などについて的確に答えをくれる。

あらかじめ日本で詳細な地図を入手し、いくつかルートを想定していた。
今は世界中の、かなり僻地の詳細な地図が日本国内で手に入る。
持参したその地図を広げ、候補ルートのいくつかを示し、道路状況を尋ねると、引き続き淡々と的確な回答をくれる。


「この道はそれほど危なくないわ。ただ給油区間は長いので注意して。その道は走るのにパーミット(通行許可証)が必要よ。

あ、そちらはカスタマー(顧客)がスタックして、レスキューに4千㌦掛かったわ。
あなた1台よね?
お子さんと二人でしょう?
トラブルが起きた時は危険だと思うわ。
緊急時には近くに集落や人がいない時は、ビーコンのスイッチを入れたら、車から離れないで日陰で待っていてね。
食料や水は常に多く持っていて。


今みたいに夏の暑い時は、レスキューに向かうレンジャーも大変なのよ。
奥地だと到着までに数日掛かることもあるし、
事故で体にダメージがあると、着くまでに死んでしまう事だってあるのよ。」


・・・・・言葉が出なかった。


喉が渇き、気が引締まった。
今回の旅で初めて「ここは日本ではないんだ!」と実感する瞬間だった。


決して「行くな」とは言われない。
けれども、自分で決める以上は全ての結果に責任を持たねばならない。
それがここでのルールだ。


レンタルにあたって、オプションの手厚い保険で事故や故障に関してはかなりの範囲をカバーされるが、それでも車の下部面や屋根へのダメージ、またはスタックや水没によるトラブルはすべて自費補償だ。決して無理は出来ない。
旅は、五体満足に帰還できてこそ旅だと思う。今回の目的はツーリングで、アドベンチャーやエクスプローラーではない。ましてや日程はもちろん、帰りのフライト時間まで決まっている非常にタイトなスケジュールだ。

深刻なスタックやクラッシュはその時点で旅が終わるのみならず、帰国さえも出来なくなってしまう。私は安全基準を2ランクほど上げて走る事にした。
オーストラリアはもともとイギリスの植民地であった影響で、日本と同じ左側通行だ。
標識も視覚的に理解できるので、地名以外ほとんど走行に違和感はない。
まず始めに街の中心部にあるアンザック・ヒルにゆく。塔が立つ小高い丘から街全体が一望できる。日本人の感覚だと「郊外の小さな町」という感じだろうか。
今日は道に慣れるために長い距離は走らず、明日の朝出発する。

ジュリアから「夕方には裏山からブラック・ワラビー(小型のカンガルー)が遊びに来るわよ。」と聞いていたキャラバンパークにチェックインし、街に戻りスーパーで食料など買出しをすませ、明日の準備をする事にする。



街でスーパーに入りたいのだが、駐車場の入り方がわからない。(笑)交差点のラウンドアバウトもタイミングを外しぐるぐる回り続けて、ちびくろサンボのトラのようにバターになりそうだ。

挙動不審にぐるぐる何度も自分たちの前を通る、東洋人が運転するレンタカーを、
店先のベンチに腰掛けた爺ちゃん達が不思議そうに眺めている。
文字通り額に玉の汗である。(汗)



スーパーに入り、とりあえずトイレを探す。
やっと見つけて、入ろうとするとスタッフに制止された。どうやら有料らしい。二人で1㌦。
しかも間が悪いことに車に財布を忘れてしまった。
しかたなく潤に借りるが、彼自身のオーストラリア上陸後の記念すべき初出費は、
可愛いコアラのキーホルダーなどではなく、
なんと便所の使用料になってしまった。(爆)

店に入り選んでやっと買った物を、そのまま忘れてきたり(笑)
引き続きラウンドアバウトに戸惑ったりしながら、初日の陽は傾いてゆく。
しかし、まだこの程度は想定範囲内の野次喜多道中だ。



TOYOTAのディーラーを探す。街のハイウエイ添いの目立つ場所にそれはあった。白を基調とした建物や看板に赤文字でTOYOTAやTRDの文字で、旅行者にもすぐわかる。
店先にはプリウスや、日本で正規販売していないモデルがずらりと並ぶ。習性でランクルに吸い寄せられる。「おぉ~!」白い車体が凄い存在感だ。

プラドや260km/hまでメーターが刻まれた200系、そしてV8ターボを搭載した70系が何台も最前列に並ぶ。
こういう地域では売れ筋なのだろう。
カスタマーの要望に合わせて架装するトラックは、キャブシャシのまま並んでいる。
店内に入るとショールームは小奇麗で、フロアに青く塗られたハイリフトジャッキが整然と並んでいる。
日本のディーラーとは少し雰囲気が違う。
「HELLO~!」大きな声でスタッフに近づいてゆく。元気のよい挨拶は万国共通だ。
だが、実は私は英語が喋れない。(爆)
こういう場面は臆せずに相手の眼を見て、怪しい単語を並べながらパントマイムをすると結構何とかなる。
これで旅行や買物で困った事はないが、言葉よりエネルギーを少し余計に使う。
額に汗なんか浮かぶと、さらに相手の心はわしづかみに出来る。
人間は言葉以外でも会話は出来るのだ。

私が日本で乗るランクル70の写真を見せたり、オーナーズクラブの帽子を指さしてランクル好きな事をアピールすると、「おー、日本から来たのか!」と興味を示してくれながらも「これがキミの車か!クールだな!・・・それで?」という予想より軽い反応だ。(笑)
日本で例えるなら「私はハイエースバンのSTDが大好きで乗ってるんですっ!」という所か。確かに変わった外国人だと思うかもしれない。



日本でのリリースは終わったが、ここでは70系は現役バリバリなヘビーユーザー御用達の頑丈な仕事車。
その必要性を強く感じる。好き嫌いの前に、この車でなければならない条件のほうが多いのだ。



日本から持参したランクルのカタログを、現地の物と交換してもらったり、日本では買えない部品を買ったりする。
お礼をいって店を出る時、投げかけてくれた「Good Luck!」(気をつけてな!)だけは、私にもハッキリ聞き取れた。

車に向かって歩きながら潤に「中学に入ったら英語を学べる時間がある。何のために勉強するのかわかったかい?」と問いかけると、目を丸くして何度も首を縦に振っていた。(笑)


キャラバンパークに戻り、芝生に水をまくスプリンクラーの「チッチッ・・・」という涼しげな音を聴きながら夕食を作っていると、数十m先の岩場にワラビー(小型のカンガルー)が姿を見せる。
のどかな時間だ。
初めての夕食は大きなTボーンステーキとソーセージにコーラとパン2種類。
二人では食べきれなかった。



年末年始の日の出・日没は丁度日本の夏の感覚だ。
日本ではほんの数日前が冬至だったので、こちらでは夏至だ。
日の出は5:30頃・日没は19:45頃でそれからシャワーを浴び洗濯したり夕食の方付けを済ませると、すぐに22:00を回る。
二人とも環境の激変と気疲れでクタクタだ。

日記を書きあわてて横になる。眠る前に洗濯物は既に乾いていた。明日はエアーズロックに到達する予定だ。

交差点の信号機はこの街の中心部のみで、最終日に帰って来るまで見る事はなかった。

本日の走行:舗装路のみ31km



【2日目・大晦日】

5:30薄明るくなり目覚め、シャワーを浴びそそくさと出発準備をする。

まだ涼しい空気の中、東の空がオレンジ色に燃え、潅木の間から朝日がのぞく。
今日はどんな一日になるのだろう。
大好きな時間だ。
暖機を終えスチュアートハイウエイを南下、少し遠回りをして100kmほどダートを走る予定だ。潤はしばらく後ろのベッドで寝かせながら走る。さすがに私と同じ睡眠時間では体が持たないだろう。

140km走行した所で西へ、アーネスト・ジルスロードに入る。
未舗装でラフな部分やワインディングもあるが、道幅は広くおおむね平坦だ。
安全に注意してだいたい80~100km/h位で巡航する。
硬い赤土の路面は、おおむね砂利道と同じ位の感覚だろうか。
車は快調だ。スピードメーターが200kmまでなのと、サブバッテリー用にアイドルアップスイッチがある他は、インパネもスイッチも国内仕様と同じなので操作に戸惑いはない。
もともと車体は乗り心地重視の設計でないし、架装もあるので振動は大きく、ガタピシとそこら中激しくキシミまくっているが、エンジンはスムースで吹け上がりにも余裕がある。
こういうホコリっぽい所を走り回る場合は、地面から少しでも離れて清浄な空気を取り入れられるシュノーケルは、必需装備なのだろう。

赤くまっすぐなダート、激しい振動音、バックミラーには通過した瞬間から立ち上がる、赤く大きな砂煙で後ろは見えない。
「おー、いいねぇー。」その景色はどこかで体験した事があるが、オーストラリアで車を運転した事はない。・・・運転しながらぼんやり記憶をたどり思い出した。



・・・それはTV画面の中に見た、あの光景だった。
そういう劣悪な環境でも潤は、振動の中で何事もないように眠っている。
脳みそが混ざらないか少し心配だが、頼もしい限りだ。(笑)

まもなく「ん?・・・メトロライト?・・・クレーター・・・?」の看板を見る。
よくわからないが、なんだろ~?と興味津々に寄り道を決める。
5kmほど走るとレストエリアと共に現れたのは、なんと本物のクレーターだった。
宇宙からの隕石が衝突して出来るあれだ。

直径150m位だろうか、規模が小さいがゆえに全景を見渡すことが容易だ。息子を起こし二人で驚きながら周囲を歩いた。「すげ~!!」こういうシーニック・ポイントには必ず絵入りの説明ボードがいくつかあるので、見ているとだいたい何が説明してあるか想像できる。
大抵の場合、こういうものは自然環境や人間の手などで、消滅してしまうのが通常の流れなのだろうが、現存できたのは、数百km以内に人間が住んでいないという地形も幸いしているのだろう。

過去の気の遠くなるよう前に起きた宇宙の営みの、その痕跡がそのまま残っているという事実に驚く。
再び走り続け、「フィンクリバー・4WDルート」の入口に近づく。

その道にとても興味があった。一台や子供と二人では危険だと言われ、レスキューに4千㌦の、あの道である。

「・・行こうぜ。」

せっかくなので大丈夫な所だけ、入ってみる事にした。(爆笑)

地図では全行程でも100km程しかないのだが、現地で貰った地図にも「ローカルアドバイスと注意が必要な道、最深部分はレンタル車進入禁止」として載っていた。(帰国後の資料整理で気づいた)

荒れた道を20kmほど入った場所にグリット(動物は通れないゲート)があり、その近くに道の説明ボードがあった。

ん?中央付近に弾痕がある。走りながら退屈しのぎに狙うのだ。(笑)

オーストラリアの一般社会に銃は無い事になっているが、奥地のこういう看板などでたまにその存在を感じる。

その看板をよく見ると「一台では入るな。増水に注意して、通れる時だけ行け」と書いてある。ルート図を見て、なぜ容易にスタックするのか理解した。

・・・クリーク(小川)を交差しながら走る道なのである。
恐らく、何度も渡河があるが当然のように橋はないし、川底を通ったり、横切ったりする部分があるだろう。
こういう内陸奥地の川に通常、水はない事が多い。何年も枯れたままの時だってある。
雨季やまれに雨が降った時だけに水が流れ、その流れは低地に流れ込み、水たまりが蒸発した後に成分の塩分などが残り塩湖になる。
乾いた川底は一見、歩いてみると平坦だし硬く締まって走り易そうだが、川砂の堆積なので自動車の重みでタイヤを空転させたりすると、あっさり掘れる。
そしてその層は自動車のタイヤよりはずっと深い。
ハッと気づくと、そこは大きなアリ地獄の真ん中だったりするのだ。

水が流れている時には柔らかい砂は流されて、底は締まっている場合が多いが、それでもまず、最初に自分が歩いて安全に渡りきれるか確認する。
それが出来ないような所は、怖くて車など入れられない。

小さな塩湖をいくつか通過し、ゲートからさらに10km位入ったあたりで砂が深い所が目立ち始める、だいたい2WDでスタックする位。
「お父さん、引き返そう。」潤の表情がだんだん不安に曇る。

潤とは日本で何度か一緒にスタックを経験しているので、
彼はセルフリカバリーグッズを装備しない重量級のランクルが
単独で深刻にスタックすると、どうなるか知っている。
まだまだ行けるが、今日の行程も考え引き返す。
夕方までにあと35Okmは走らねばならない。

恐らくここが、今回の旅で一番の奥地になるだろうし、再び訪れるかもわからない。
彼のアドバイスに従い空いたペットボトルに路肩の赤い砂を詰める。
夏の甲子園球児はこういう気持ちだろうか。(笑)
寄り道も含め150kmほどダートを走ったのち、ラスターハイウエイに出てひたすら西へ走る。低い潅木しかないので景色の見通しはよい。数百km間隔でロードハウスがある他に人の気配はない。時間優先で快調に飛ばす。マウントコーナーが見えてくると、エアーズロックまではもう一息だ。
途中道端のレストエリアで小休憩。
東屋の日陰でパンをかじっていると、ランクル80が大きなキャンピングトレーラーを引いて入ってきた。なんと後輪が2軸で6輪!どこでも走れそうだ。
荷台はパネルバンに改造されている。日本の改造車の感覚は遥かに上回る。
トレーラーには日本メーカーの「Daiwa」の大きなロゴ文字。釣りをしながら旅しているのだろう。

これから私たちと同じ、エアーズロックに向かうと言う中年の夫婦だった。

15:00エアーズロック観光の拠点、ユララに到着。
キャラバンパークにチェックインする。
まだ陽が高いが、その木陰のないサイトには暑くてとても居られない。

スーパーで夕食の買い物をすませ、近くに見えるオルガ(といっても片道50kmある)を見学しにゆき、帰りにエアーズロックの夕焼けを見る事にする。

スーパーで買物をしながら、息子がその並べられた食材や菓子などを見て
「日本の食事って種類が豊富だったんだね。
いつもここにある物だけ食べていたら、すぐ太っちゃうね。」笑いながらそんな事を言った。
最初にオルガへ行き、遊歩道を4kmだけ歩いた。まだ日は高いので汗だくになったがこれは正解だった。遠景と違い、岩肌といいそそり立つ感じといい、これが凄い存在感でなんというか、偉大さを感じるのだ。

時間があれば1日かけて周りを歩いてみたい。エアーズロックと違い人が少ないのも、個人的にいいと思う。
日没まで一時間を残した頃に、エアーズロックのサンセットビューポイントに到着する。いわゆる、よくみるエアーズロックの写真のあそこだ。

近くに見えるが、じつはエアーズロックからは直線で3kmは離れている。ちょうどカメラのファインダーに収まる地点なのだろう。この付近は路上の駐停車は禁止のためサンセットはここで見学する。
今の時間帯だけはここに、半径50km以内の観光客が集結する。
車は休みなく往来し、各国語が聞こえてくる。

まだ日差しが強いので低い潅木の日陰にピクニックチェアを出し、
その表情の変化を見学する。明日はあそこに登るんだね。と話した。
夕暮れ涼しくなり、走行中に中速域で窓を開けていると、どうもエンジンからの妙な音が気になる。最初からしていたかはわからない。
オイルと水は毎朝チェックしているし、走行中の水温も問題ない。
レンタル会社からは500km離れてしまったし、いま心配してもどうにもならないので、このままゆく。壊れたらその時考える事にしよう。

今日も活動した~。クタクタである。
おまけに夕食を食べていたら、アリの大群に襲われた。

大きくはないのだが、やけに機敏で噛み付いてくるにくい奴だ。誤ってジュースをこぼしてしまったら、さらに集結してきた。

オーストラリアには1cm以上ある奴も存在し、テントなどはファスナーを閉めていたとしても食い破って、中の食料を強奪しにくる。蚊用のスキンガードは通用せず、早々に車内に退散する。

近くに巣があるようで、日が落ち涼しくなると出動してくるらしい。食べ残しの骨を少し離れた所に置きオトリにしておく。この方法が一番、お互い傷つかずに回避できる。(笑)
潤はもう12歳だし、クルーとして仕事を分担してもらう。

今までは、普段の生活で接する機会がない自然と戯れ、遊びを満喫する事が彼の任務であった。

もちろん経験や知識こそまだ浅いが、男として接し始めるのにも、もう差し支えない年齢だろう。
社会的に見ても、大人として扱われる場面は近づいている。

行き先や食事のメニューなどの相談や道に迷った時も、クルーとしての意見を聴く。

今回コンパスや地図の読み方、火や刃物の扱い方、危険予測と回避の方法、決断の場面など、私が知っている事は伝えてゆき、私も知らない事は一緒に調べる。

車の運転はまだ出来ないが、運転補佐やキャンプ地でテーブルやイスを出す、ベッドメイク、調理補助、ゴミ出しなど、次々に指示が飛ぶ。

そして、暑さや疲れでぼうっとしてしまうと、容赦なく催促や叱責の声が飛んでくる。

日本の生活では、ここまで精神的・肉体的にくたびれる場面はあまりないので、こういう実習には絶好の機会だ。

ちょっと可哀想かもしれないが本当に可哀想なのは彼がこの先、こういう心身つらい場面で、仲間への気配りや心配りが出来ない事のほうだと私は思う。

誰だってすぐには出来ないが、それは体験と反復で身に付けられると思うのだ。

その経験は多いほど、難易度が高いほどに人間としての許容量というか、
幅が広がると私は考える。

1度経験した大変な事は、2度目には余裕を持って対応できる。
そのハードルは、親や先輩が上げてくれる事もあるし、自分でも出来る。

けれども年を取ってからでは大変なので、勢いや体力のある若い頃の方がいい。(苦笑)

わが家の旅は、そうした生き方トレーニングの現場でもある。
彼はそんな中でも泣き言ひとつ言わず、決して誰かや何かのせいにもせずに、とてもよく健闘している。
本当は、こんな事を言ってる大人だって、こんなにヨレヨレなのだ。


そんな中で私たちの2009年が、幕を閉じようとしていた。

本日の走行:593km(ダート152km)



【3日目・元旦】

薄明るくなった頃目覚める。
朝の涼しい時間にエアーズロックに登ろうと思う。
ゆっくりシャワーを浴びたあと、ブッシュの間から昇ってくる初日の出を眺めながら準備をする。
明るい時間に改めてサイトを見回すと、ここオートキャンプエリアだけでも、ライトバンとテントから始まり巨大なトラベルトレーラーまで、実に様々な旅のスタイルが存在し、それを楽しんでいる。
私たちのような4WDやレンタルもまた多い。
そういうツーリスト達を見ると、それぞれがみな個性的な自分のスタイルを持ち、
なんとなく誰かのマネしたりはしないことが、実にカッコいいのだ。
また、そんなところにもこの国の、金銭以外の生活の豊かさを感じてならない。
エアーズロックに向かう途中、国立公園のゲートのおばさんに今朝の状況を聞く。
「まだ登り口のゲートは閉まってるわ。
早朝は風が強いから登れないの。
下が微風でも上はストロングなのよ。
多分開くのは7:00以降だと思うわ。」
登り口に着くと、聞いたとおりゲートは閉まっている。
駐車場全体がエアーズロックの日陰で涼しい。
潤を起こし事情を説明し時間潰しがてらに、ベンチでオレンジなど食べる。
寝起きに目の前でそびえるエアーズロックにひどく驚いている。(笑)
ふもとで間近に見るこれがでかい。すごい迫力である。
その標高は348mもあり、実は東京タワーよりも高い。
あらためて彼と年頭のあいさつをすませたのち、今年のお年玉をドルであげた。

初出費便所代事件の件もあるので、若干の奮発をした。

日本で、ばあちゃんに貰った小遣いと合わせて、幾らになるのかと円換算電卓で計算している。

友達に買って帰る、おみやげ予算を差引いてもホクホクだ。
悪い人に見られないようにと、人がいる方向に丸めた背中を向け、車の陰で数える姿が実にけなげだ。
100㌦札まで混じって、今年は大漁である。(笑)
空港では入国審査カードや両替も、記入方法を教え彼の分は自分がした。
私もわからない所は、入国管理官に聞きその場で書いた。
そして彼が持ってゆきたいものは、自分のリュックで背負っている。
わが家では旅や遊びは、その全てが社会勉強でもある。

時間につれ、だんだん陽がさしてきて、涼しかった気温が一気に上昇する。
ベンチも15分程で座っていられない温度になる。
ここでは登頂を目指すか、周辺を散策する以外に滞留する理由はない。

ベンチから何気なく人間ウオッチングをしていると、次々と登る気マンマンで到着する、トレッキングスタイルに身を固めた各国の代表達は、しばらくゲートの周辺を歩き回り、井戸端会議のあと足重に離れて行く。
どうしようか。
午前中ゲートは開きそうにない。
午後は今の時期、暑すぎて危険なので許可されないので、午前中には終えて出発する予定だった。今日中に300kmほど走らないと、明日の行程がとてもヘビーになってしまう。
その事を説明した上で、潤に意思確認をすると「せっかくなので、できるなら登りたい。」との事。
内心は私も、ぜひ彼と頂上に登りたいと思っている。
明日の朝早い時間まで、との条件を話しもう1日のステイを決めた。



360度の地平線を、見た事があるだろうか。
私はそれをぜひ彼に見せたいと思っている。
過去に自分がここでそれを見た時、普段自分が生きている場面が、とても狭い世界だったという事に気づいたからだ。

そういう今までの価値観が変わってしまうような事を、この旅で彼が体験することが出来たならば、連れ回す親としてはその冥利に尽きる。

私はその見渡す限りの地平線が見たくて、日本のそれが見れると聞いた場所をあちこち旅した時期があった。
けれども私が行きついた先で見たのは、どれも水平線か山や丘陵の稜線だった。

灯台の灯りは30km先の海上まで届くという。
地球は丸いので、その先に光は届かないという訳だ。
そう仮定すると半径30kmの平地の中心で、視界を遮る物がない高さからは、
地平線が見える事になるが、日本にそういう地形はなかった。

この頂上にはその条件が揃っている。

エアーズロックの周りを一周ドライブしたのちユララリゾートへ戻り、サイトに残した荷を積む。
キャラバンパークのプールに入って少し涼むが小一時間遊ぶうちに、日焼けしてしまった。
日焼止めは塗ったのだが、やはり物凄い日差しの強さだ。
明日朝までどうやって過ごそうか。

アイスを食べてからみやげ物屋を巡回して、ヘリの遊覧飛行で空からエアーズロックを眺めてから、またアリが待ち受けるサイトに連泊するか。



「ラクなんだけど、それはつまんねえよなぁ。」



地図を見ながら少し考えて、今夜はブッシュキャンプをする事にする。
いわゆる野宿である。

この辺は国立公園であるから、ルールで野宿は出来ない。
なので公園の外までゆく

距離は200kmほどしか走らないし、まだ燃料は半分ほど残ってはいるが、念のため水も含めて満タンにし、タイヤのエアも確認する。

通行許可証が必要な道を少し通るので、ガソリンスタンドで教えてもらったセンターオフィスへ申請にゆくが、メインセンターがニューイヤーホリデーで休みである。

潤に夕食の希望献立を聞き、スーパーで買った食材や水をフリーザーに放り込み出発する。


この時はまだ、あんな夜になってしまうとは予想も出来なかった。
舗装路からダートに入り、幅広の赤い道を西へ走る。
途中で大きな重機を運ぶトレーラーと、すれ違いさまに手を振り合う。
この道は未舗装でこそあるが、西オーストラリアとレッドセンターを結ぶ主要地方道だ。
枝道に入らなければ道に迷う危険はない。
ここでは道に迷うことを「遭難する」という。
砂が浮いていないダートは、コルゲーション状になっていることが多い。
ブルドーザーが通った後のように、硬い三角の山模様が延々と続くのである。
この振動がなかなかつらい。
低い速度域だと振動と騒音で、室内全てがブレて見えるほどだ。安全に気を付け、全部拾わないように80~100km/hで走ると、荒れた砂利道程度の感覚で走ることが出来る。

途中大きなトカゲを2回見た。
道にはよく木の枝が落ちているので一見わかりにくいが、車が近づくと逃げるのでそれとわかる。ぜひ潤に観察させたいのだが、砂煙の中をバックして戻るまで待っていてはくれない。トカゲも生き延びるのに必死だ。

国立公園から外れた辺りのエリアで今夜の寝床を探す。
しばらくしてぴったりの場所を見つけた。
見通しがよく木陰になる木もある、水はけの良さそうな平坦な広場で、タイヤや焚火の跡もある。
たぶんこの辺のハンターや旅人が使うのだろう。
合格だ。
「ここをキャンプ地とする!」
キャプテンの決定で今夜の野営地は決まった。

陽は傾いてきたが原野を渡って来る風は強く、ドライヤーのような熱風だ。
まだ40℃は超えているだろう。
足元の枝や落ち葉は、踏むとピチピチと軽い音がして乾燥しきっている。
火気は厳重注意だ。
風が熱すぎるので潤を車内で待たせ、まだ陽が高いがそそくさと夕食の支度を始める。
こういう安全が保証されない場所では、キャラバンパークとは意識や手順が変わる。
暗くなる前に食事や片付けをすませ、不測の時すぐに移動できるようにしておくのだ。

オーストラリアに猛獣はいないが、料理の匂いで、ディンゴ(野犬)が寄ってくる可能性がある。
ガソリンスタンドなど各所にも、注意のポスターが貼ってあった。
狂犬病も、無いとはいえないので接触は絶対に避ける。

今年は全国的な異常高温と乾燥で、野生のラクダも攻撃的に人間に近寄ってくると聞く。
日没時に風は収まるはずなのだが、さらに風が強まってきてテーブルから、パンや飲みかけのペットボトルが転げ落ちる。
二人だけの静かなサンセットを期待していたのだが、あては外れた。

よく風向きが変わるし、空には晴天と、雲がある部分が一文字にハッキリと分かれている。
天気の前線がこの上にあるらしい。
「やな展開だな~・・・。」

のんびりと好物のステーキとソーセージ、ベーコンの夕食を楽しむ潤に「野犬が来るから早く食べろ!」と再三せかす。
日本の日常で、普通そういう会話はないので、意味がわからないようだ。
彼にとっても、こんなおかしな所までつれて来られて、好きなようにされて迷惑な話だ。

手早く片付け不測の事態に備え、すぐその場を離れられるようにしておく。
今日も夕焼けが綺麗だ。


眺めていると陽が沈み反対側の空に夕闇が迫ってきた頃、いきなり地平線に明るいオレンジ色の閃光が光る。

「・・・???」気味が悪いので二人で車の中から見る。車のライトにしては明るすぎるし、その方角に道はない。ヘリにしても音がしない。潅木の隙間から見えるその光は、地上すれすれに大きさを増し近づいてくる。
「あれ何よぉ~!潤さぁ、キャトルミューティレーションって知ってる?やばいよ、やばいよぉ~!」

だが、見ているほかにどうすることも出来ない。光は輝度を増し異常な速さで近づく。

「ホントにやべえな。逃げるか!でもすぐ追い着かれるだろう。」




そう思った時、はっと理解した。
・・・・・月の出だ!

月が昇って来たのだ。
こんなに鮮やかに輝く眩しい月は初めてだ。
地表近くで舞う砂埃りの影響で、オレンジ色に見えたのだろう。

「おー。こいつう、ビックリさせんなよぉ~。」来ないとわかると、いきなり強気である。

ほんの数分の出来事だったと思う。
すっかり宙に浮き、銀色に移り変わる月明かりの下で、二人とも一気に緊張の糸が緩んだ。


深夜、強く車が揺れて目覚める。強風だ。腕時計を見ると2:30。
寝つけずに横になったままいると稲光がひかる。信じられなくて、目を疑った。
そして30秒ほど後に雷鳴が届く。
まだ遠い。時折風に混じり雨粒が屋根を弾く音がする。

この辺に金属は、この車以外にないはずだ。
飛び起きて落雷に備え全ての窓を閉め、子供を抱え出来るだけ窓から離れる。


「なんでこんなトコで雷なんだよぉ~。」


野宿した事を後悔し、この場所から逃げ出したかったが、走っても近くに身を寄せやり過ごせる場所はない。
半径80km以内に人もいないはずだ。
それに夜間走行はとても危険なので、緊急時以外は走らない。


「今夜はいったいなんなんだよぉ~。」こういう時にぴったりの言葉は一つしかない。

それは、「神さまぁ~!」


稲光りの数を数え、雷鳴との間隔を計っているうち眠ってしまったらしい。
はっと気づくと東の空は明るくなっていた。

本日の走行:222km(ダート70km)



【4日目】

夜のうちに荒天は収まった。再度エアーズロックへ向けて出発する。
早朝の低い角度の朝日が強烈に眩しく、赤い路面に反射して轍が見にくい。
登り口へ着くと、すぐに二人とも今日も登れない事を察した。
昨日の朝より風が強いのだ。
8:00まで待って見るが、やはりゲートは開かない。
さすがにもう、ウエイティングの余裕はない。
とても残念だが登頂は次回の課題として残すことにする。
明日の昼前には空港に居なければならないので、車のドロップオフなど考慮すると、今日中にアリススプリングス近郊までは戻らねばならない。

出発した。
今日はキングスキャニオンを経由してダートを通り、アリススプリングス方面に向かう。

ハイウエイを一時間程走ったところで、乗用車と牛が衝突した現場に出会った。
長いスリップ痕、路肩に横たわる牛、大破して路側に乗り捨てられた車。
2日前ここを通過した時にはなかったので、ここ数日の出来事だ。
このまま放置されるのかもしれない。
夜間走行は速度の割に見通しが悪いし、牛は目立ちにくいので発見が遅れる。
また、カンガルーは光に向かう習性があるとの事で、こういう事故は起きやすい。
身が引き締まる思いだ。
景色が単調な舗装路をひたすら走っていると、昨夜の睡眠不足もあるし眠気が襲ってくる。
走行中2度ほど路肩へ脱輪した。

ガードレールや縁石はないから、片輪が少し未舗装を走るだけなのだが100km/hを超えているのだし、その延長線上には大事故がある。
レストエリアで眠気覚ましを飲み、深呼吸や体操したりして休憩した。
キングスキャニオンの渓谷を少し見学し、近くのロードハウスで給油と昼食をゆっくり取り、土産物など眺める。
これから通るダートの道路状況を聞き、アボリジニ居留区の許可証も申請した。
そして、この先200kmほどの区間で4WD走行での燃費を計る。

こういう時必ず「車は何か?」と聞かれる。
事情をわきまえない旅行者が、トラブルにあわないように気遣ってくれているのだ。
「ランドクルーザーです。」と言うと必ずニッコリ笑って「OK!」と親指を立てる。そういう時ランクルは、こういう場所ではとても信頼を得ている事を実感した。
買った物をしまおうとすると、どうもフリーザーの冷えが悪い事に気づいた。(この日から不調で冷えなくなった)

ここからアリススプリングス方面に向かうメリーニー・ループロードは、原野の直線路はもちろんワインディング、高地、牧草地、丘陵地帯などあり飽きない。
牧場を通過するエリアでは牛はもちろんロバや野生の馬の群れ(放し飼い?)やミラバケッソのような羊と馬を足したような生物の群れもいた。
「ルールルル」と呼んで見るが、やはり来ない。(笑)

今回の行程で唯一、北部でよく見るアリ塚を見た区間もあった。
とても眺めのよい展望台も数箇所あり、潤に少し地平線を見せる事も出来た。4WDなら是非お勧めの道だ。アリスからユララへ向かう方がいいと思う。
それは、街からワインディング、渓谷、礫地、そして木々の高さも低くなってゆき、荒涼として気候が変りゆくさまが体感できるからだ。
今回通った中では一番のシーニックルートだ。
途中には鉱山がある他は何も無い。

夕刻、グレンへレン渓谷のキャラバンパークまで辿り着いた。
アリスまではもう140kmを残すのみ。「もう明日で終わっちゃうのかぁ。残念だなぁ。」と潤がいう。
私も同じ気持ちだ。


二人とも疲れが溜まる中でよくがんばり、健闘した。


ベンチで、夕焼けの渓谷を眺めながらお互いをねぎらい、
行程中の不手際や言い過ぎた言葉を詫び、
潤はコーラで私は特別な時にだけ飲むビールで、
行程の無事と最後の夜に二人で乾杯した。


夕食を終え車内に入り寝支度をして灯りを消し、今夜もいろいろな事を話していた。
未来の事や親子でもなかなか話せない事など、こういう非日常の空間では話しやすい。

そして眠りに入りかけた時、異常事態は発生した。



「ガチャーン!・・・ガガガ・・・ガガガ・・・」車外でテーブルが倒れた音だ。
けれども風のせいだとすると、引きずるような音がおかしい。

潤が月明かりを頼りに車内から目を凝らすと
「おとうさん!なにかいる!」押し殺した声で叫ぶ。
見てみると中型犬位の黒い何かの影が、テーブルから下げてあった白いレジ袋を引張っている。



中には食べきれなかったソーセージやベーコンが入っている。
だとすると、ディンゴやキツネなどの肉食獣だろう。
昨夜にくらべ今夜は安心しきってしまい、残飯の袋をテーブルに掛け放しだったのが原因だ。
それは、灯りを点けた瞬間に闇へ去っていった。

「すぐそばに野生の動物がいたんだね。昨日言ってたのは、こういう事だったんだね。」
彼は昨日の夕食時にせかされ、怒られた意味をいま理解した。そして静かな時は戻った。
この辺はユララに比べるととても涼しい。今夜は星がとても綺麗だ。

毎晩見ていたはずの南十字星を、潤に指し示してあげられなかったのが少し心残りだ。

私は普段、星空に興味はないが、南半球でしか見る事ができない南十字星・サザンクロスは押えておきたい。
名前がカッコいいからだ。(笑)
だが20年ぶりでは記憶の糸の先は、途切れていた。

そういう時は夜、キャンプ場にいる誰かに片っ端から
「やあ今晩は!サザンクロスはどれですか?」と聞くと、
必ず教えてくれる人はいるのだが、
今回はその余裕さえ持てなかった。

夜空に潤が見つけた流れ星に、二人で願いをかけた。



その星たちのもとで、最後の夜も眠った。

本日の走行:619km(ダート213km)



【5日目・最終日】

最終日の夜明け。
終わりの朝が来てしまった。朝は好きだが今朝はだいぶ名残惜しい。

車のドロップオフに備え荷物をまとめて、ざっと車の清掃をする。
ウエットの路面を走らなかったので室内外に目立つ泥汚れはない。
オフィスにはオープンの10:00に着ければよいと気が緩み、出発が遅くなってしまった。
慌てて洗面をしてコンタクトレンズを洗面台に流してしまう。
慌てるとよい事は起こらない。


8:30出発。1ケ所ピクニックエリアへ寄り、ほかにいくつか興味を引くポイントがあったが、
さすがに今朝、寄り道の余裕はない。
「あれ、なんだろだなぁ。」と横目で見ながら走り続ける。

「あー、終わっちゃうんだぁ。ホントに来てよかったなぁ。」と潤が連発する。
「せめてあと一日あればいいのにね。」と二人で話す。


でも旅も他の物事と同じく、少し足りないくらいが丁度よいと思う。

また来ればいいのだ。



街で返却に備え最後の給油をし、その後道に迷い慌てたがなんとか到着した。
帰りの担当も出発と同じジュリアで、本当に貴重な体験と沢山の思い出に感謝し、自分の持てる最上級のお礼を伝えた。
「他にも北部とか、素敵な場所が沢山あるわ。
次回は涼しい4月~9月がいいかもね。また会いましょうね!」笑顔でそういうと、順番を待つ次の車へ足早に歩いて行った。

今朝は返却が多く順番待ちで、一時間ほど掛かってしまった。
時間に追われるとそれだけで疲労度が増す。

ジュリアとお別れの挨拶もそこそこに、呼んでもらっていたタクシーに飛び乗り空港へ着くと、
私たちのフライトの搭乗手続きは終わる寸前だった。(汗)

本日の走行距離: 138km(舗装路のみ)

総走行距離:1603km(ダート435km)



【離陸】

そそくさと搭乗口に向かいゲートを通過しようとするが、チェッカーが私たちの搭乗券を何度もはじく。
不思議そうに係員が確認すると、なんと隣のゲートだ。
危うくアデレードへ飛ぶ所だった。
やっとここまで辿り着いてヤッちまう訳にはゆかない。

けれども正しいはずのゲートに行くと、今度は時間が少し過ぎているのに閑散としており、出発前の活気はない。
かなりおかしい。
老夫婦二人が遠くの空を見ているだけだ。

老夫婦はもしかして、さっきシドニーへ飛び立った息子を想って哀愁に暮れているのだろうか。
・・・という事は、やはりやっちまったのか。
膝から崩れ落ちたかったが、子供の前なのでなんとか耐える。


「お父さんどうしたの?」

「うーん、乗り遅れたかもしれねぇ。」

再びうろたえてゲートの前で、檻の中の白熊のようにウロウロし、ニワトリのようにキョロキョロする。
もちろん心臓は口から出る寸前だ。

ことの一部始終を見ていたであろう、その老紳士が静かに話しかけて来た。
「搭乗券を見せてごらん?・・・大丈夫だ心配ない。  私たちと同じフライトだよ。  この後だ。」

爺ちゃんが神様に見えた。

同時に搭乗させると、私のような者が発生するので一便ずつ順番だったようだ。
少ししてだんだん人が集まって来た。


出発から本当に慌しかった。
座席に着きベルトを締めると、いきなり睡魔が訪れる。

私にとって飛行機は命懸けで乗る物であるが、
さすがにその操縦は自分ではどうにもならないために
逆に開き直れて、リラックス出来る空間になる。


言葉が通じなかったり、道に迷ったり、事故の心配はもう要らないのだ。



【モノローグ】

離陸後、機内の小さな窓を眺めながら、今回の旅を回想してみる。

オーストラリアを走るのは2度目だ。
前回はバイクで、成し遂げたい目標を持ってやって来た。

それは準備と経験の不足で叶わなかったが、当時事情で旅の中に生きる人生を選ばなかった私は、20年後の再挑戦を誓った。
その頃には自分を取り巻く状況が、落ち着いているかと思ったからだ。

それが今年。

準備やスキルを重ね、頼りになる車も入手し、アドバイスをくれる信頼できる仲間たちとも出会った。
けれども、「若かった頃と比べ衰えを隠せない心身で、仮に実現出来たとしてもあの過酷な旅に、本当におれは耐えられるのだろうか?」そんな不安を消し去れない。


今回の旅は、その自身へのテストや次への布石も兼ねていた。
そしてその結果は、不安を吹き飛ばすとても楽しい物だった。


だが足元を見るとどうだ、身近な問題が山積みだ。
職場でその旅行期間や万一還れなかった時、私の代わりを誰が務めるのか。

皆が生き延びる事に必死な現在の経済不安の中で、なにが旅行なのか・・・。

無責任な事など出来ないし、旅行などとても無理なことに思える。

それでは、「数ヶ月の時間といくつかの条件の耳を揃える事が、おれの数十年の人生の中で本当に不可能だろうか。」



眼下の雲の、その遥か下に見える赤茶色の大地を眺めながら、
遠のく意識の中でそんな事を考えていた。




【帰国】

未明に帰国したから朝帰りだ。(笑)妻はもう仕事に出ていない。
朝日が射しこむ居間、わが家の匂い。
テーブルの上に束ねてあった年賀状を見ながら潤が言う。
「やっぱり家は落ち着くよね。」旅行帰宅時恒例の感想だ。
子供が大きくなるにつれ、手狭になって来たアパートであるが同感だ。

「今度の休みは、釣りにいこうよ!」子供は頭の切替が早い。
彼は今、釣りに夢中だ。そこからも学び、楽しんでいる。
そして、頼りになるわが家のランクルで出かける。


明日は仕事始めだ。
再び私にとっての日常生活も始まるが、精神的な社会復帰が大変だ。(笑)


目標にまた一つ到達し、今日からはその次に向かう。


そのビジョンを胸にいだきながら、再び歩き続ける事が出来るのだ。

【エピローグ】

この旅で息子と一緒に、日本ではまず見れない物や、出来ない体験をいくつもした。
彼の人間として多感なこの時期に、このような時間を共有できて、
本当によかったと思っている。

彼には、豪華な食事や優雅な宿は与えられなかったし、
疲れている上に怒られたりして迷惑だったろう。
そして、エアーズロックには登れなかったし、
危険でホコリっぽく、貧乏くさい旅でさえあったかもしれない。


私は親として、旅をとおして彼をどこかへ導こうとか、なにか型にはめようと考えてはいない。

ただ、彼の今後の人生での機会になる「体験や経験」という種子を、
彼自身に蒔くことが私の使命だと考えるならば「出来る事は全てやった。」と言える。

そして、のちにその芽が出る事を信じ続ける。それが私のスタンスだ。



車仲間と、いつかオーストラリアの荒野を走りたいと話し合った。

この旅の計画を話した時は、みな
「その日程では、旅行が無駄になるので計画を練り直した方がいい。」と思いやりのある助言をくれた。

実際ろくに観光地にも寄らず、クロカンはもとより、トランスファーだって
4WDに入れる必要がない場所を、ただ走り続けていただけだ。

ましてやその範囲は、地図の上ではとてもちっぽけなエリアだった。


このレポートで話した事は私たちが、そんな一見つまらなさそうな、
実走たった5日間での体験や感じた事の、ごく一部です。



こんな声を聞いたことがある。
「子供がいるから・・・、家族があるから・・・、~を出来ない。~も我慢してる。」

・ ・・私は残念な気持ちになった。

旅にしても私が好むスタイルは一人で、放浪系だが、
今回の旅は、家族や子供がいなければ実現できなかった。

そして一生忘れる事が出来ないくらいに、サイコーに楽しむ事ができた。

タイミングもあるし、いま出来ない事は葬り消し去る必要はなく、温めて機会を待てばよい。


そして、いま自分がある場面をエンジョイすればいいと思うのだ。



「大切なことは、たのしむこと。」

風呂場で息子が言ったごく微量の人生のエッセンスは、すべてを劇的に変える。



いろいろな人が旅をするといいと思う。

若い人や、行った事がない場所に興味を持つ人、
そして私のような普段身を粉にして働く、子育てに奮戦中のお父さんたちへも、

このレポートはメッセージであり、応援歌でありたいと願っている。

若者のように勢いはなくても、子連れだってこの程度は難しくない。
コストもパック旅行とさほど変わらない。

手配手続きや責任は確かに増えるがその先には、それを上回り余りある、

プライスレスなオーダーメイドの貴重な体験が必ずあり、
私たちはそれらを確実に体験した。



けれども本当に大事なことは、外国でなくたってどこだっていい。

ゆきたい所へ自分らしいスタイルで、大好きな車や、大切な人とゆけばいい。そう思うのだ。


楽しい事を想い描き実行すると、そのとおりになる。



勇気を出しこれから発つあなたの、安全と健闘をお祈りしています。







【コラム①ローカルアドバイス】

エリア情報はその土地の人が一番知っている。

車の往来が少ないダートやストックルートに入る時は、
安全のために近くのロードハウスや警察署などで荒れや冠水など道路状況を収集してから入る。
これは安全はもちろん、行止まりと引返しを回避する意味でも外せない。

また、届出が義務付けられている道ではそれをすませる。
出口でもきちんと届出をしないと捜索隊が出てしまう。
これは日本の山登りの感覚に似ている。

また入り口に路面荒れ・4WDオンリー・~km燃料なし・注意・危険の表示はあるが、
本当に通れない場合を除き、日本のような通行止めは少ない。
進入は簡単だが、結果には自分で責任をとらねばならない。
それがグランドルールだ。

【コラム②ラウンド・アバウトRound About】

日本では交差点というと十字にクロスしているものだが、ラウンドアバウトは真ん中がドーナツ状に丸くなっていて、時計回りのみ一方通行であり、右方優先である。
そこから放射状に道がついており、流入車は左折で進入し、左折で流出する。
慣れると非常にスムーズに方向転換や通過ができた。

【コラム③ロードハウス・レストエリア・キャラバンパーク】

レストエリア・ピクニックエリア:道路沿いの無料休憩用パーキングスペース。
ベンチや東屋・ゴミ箱があり、BBQの炉や水・トイレがある場合もある。
宿泊が可能な場合もある。

ロードハウス:自動車で旅する人向けの店。
燃料やガス、食料や日用品、土産、キャラバンパークやロッジなど宿泊施設併設も多い、道路情報などほとんどの物は手にはいる。

キャラバンパーク:車で旅する人向けのキャンプ場。
シャワーとトイレ・簡単な売店は必ずある。ロッジ(貸し部屋)やオンサイトバン(貸しキャンピングトレーラ)もあり、キャンピングカーでなくても車旅は出来る。
特別な場合を除き満室はまずない。
2名・電源・給水・排水付サイトで30㌦前後だった。

【コラム④キャンピングカーのレンタカー会社】

日本ではキャンピングカーのレンタルというと、かなり特殊だが、自動車で旅行し休日を楽しむ文化が発達しているオーストラリアでは、主要都市・観光地ならどのキャンパーレンタルの会社も営業所を持っている。
そしてその車種は非常に豊富だ。

オーストラリアではキャンピングカーの事を「キャンパーバン」、大きな物は「モーターホーム」と呼ぶ。
私はランドクルーザーベースの車を借りた。理由は頑丈で、ダートを走るのにも余裕が持てて、4WDは行動範囲が桁違いに広がるからだ。
日常でもランクルに乗っているので勝手がよい。

日程が決まっている場合は、日本での予約をお勧めする。
大手ではマウイ(MAUI)・ブリッツ(Britz)・アポロ(Apollo)などある。

今はインターネットでそれらをリサーチ出来、日本からでも簡単に予約を取ることが出来る。

料金体系やQ&A、約款までも全て明記され不透明の部分はない。

私はマウイという会社を選ぶ事にした。
借りる予定のランクルだけを見ると、形式やエンジンが最も高年式の車がラインナップされていたからだ。

私の場合は英語に堪能でないので、申し込み事項から始まり、正確な契約内容、万一に備える保険についてやその補償内容など、わかりにくい点や疑問が多かった。
これらは外国人であるとはいえレンタル契約を結ぶ以上、後で「知らなかった」は通用しない。

ネットの翻訳サイトで訳してみたが、理解しやすい日本語にはならなかった。

では、日本語対応ができる会社がないか探した所、なんと日本にあった。

マウイ社やブリッツ社の日本正規代理店である東京の「U5・ユーファイブ社・ネーチャーズビート事業部」だ。
担当の前田さんが事前に私の質問・疑問に適切な回答をくれ、契約についても和訳文を送ってくれたので不明点や不安はなかった。

現地でのアドバイスや、予約状況もオンラインのPCから即座に答えてくれ、おまけに支払いは、その時の為替レートに合わせて日本円で支払うことが出来るので、現地での追加オプションやカードデポジット(保証金・使用がなければ全額返却)を除けば現地での支払いはない。
現地では持って行ったバウチャー(予約確認書)を提示するだけで、スムースなピックアップが可能だった。

【コラム⑤ランクルのキャンピングカー】

私は車内に展開ベッドが装備されているタイプを選んだが、5人乗りで荷室にテントなど人数分の装備がセットされたタイプもある。
キャラバンパークには必ず広大なテントサイトが用意されているので、日本のように設営場所を探す心配はない。こちらも楽しそうだ。
もちろん車だけの通常のレンタカーもある。

こういう未舗装路が多いアウトバックを体験したい場合、4WDベースのレンタカーやキャンパーバンは強力な道具であると言える。そのどこへでも行けそうな車両装備について考えてみた。

まず頑丈なバンパーやサイドバーが目につく、それは対物や夜間走行時などに飛び込んでくる、カンガルーなどの接触から車を守る為の装備だ。

大型車や重連のロードトレインなどは、急停止が危険なので牛でさえ跳ね飛ばしながら走る。
その為の頑丈なバンパーが、アウトバックを走る車にはついている。

ラジエターや燃料タンク、水タンクの下にも頑丈なアンダーガードがあり、サイドガードとも相まって下からのガード性は高い。

牽引フックはフロント2個、リアは車両保護のためか取り外されている。他の装備については

車載工具・ジャッキ・折り畳みスコップ2個・3mのベルトスリング・バウシャックル2個・コンプレッサー・シガーライター用蛍光灯・消火器・ファーストエイドキット・非常救援信号用ビーコン。

だが、この装備で単独で深刻なスタックに陥った場合には、おそらく自力での脱出は不可能だろう。
これらは、どちらかというと救助されるための装備だ。

クロカン車の定番である、デフロックなど車体のトラクションデバイスはもちろん、ウインチやハイリフトジャッキ・エアジャッキ・サンドラダーなどもない。
今回のように一台で小人数の場合は、スタックの未然回避がとても重要になる。

【コラム⑥V8ディーゼルターボ】

今回借りたランクルVDJ78Rをベースとした車には、日本国内ではリリースされていない1VD-FTV・4461ccDOHC32バルブのV8ディーゼルターボエンジンが搭載されているので、実は秘かに期待していた。

スペックは最大出力:151kW(205ps)/3400rpm・最大トルク430Nm(43.8kgm)/1200-3200rpm、ミッションは5速マニュアルのH150Fと組み合わされる。

体感的には極めてスムースかつトルクフルで、今回のように架装で大幅に重量が増え、さらに燃料タンク2個と50Lの水タンクまでも満タンにした巨体をストレスなく引張ることができる。

ここノーザンテリトリーでは、郊外の制限速度は130km/hだが、ごく普通にシフトアップしてゆくだけでその速度へ達するし、必要であれば更にそこからぐんぐんと加速してゆく。

日本で乗る限り、ランクルはシャシを含めすべてにおいてオーバースペックであるように感じていた。
けれどもここのような、車にとって過酷な自然環境で、荷物をたくさん積んだり重いトレーラーを引きながら、壊れずに走り続けられる事を命とするランクルには、不可欠な仕様であることを体感した。

参考までに燃費は全平均2WD 7km/L(舗装路110~130km/h、ダート80~100km/h巡航・4WDテスト燃費含む 総走行1600km)

4WD 6.6km/L(ダート平坦路80~100km/h巡航・230km走行)

架装での重量増加や全てエアコン稼動で、省燃費は一切考えない走行だった事を考慮すると、とても好燃費のエンジンであると感じた。

大まかなエンジン回転数100km/h-2200rpm 130km/h-2800rpm

実に頼もしいエンジンで、日本ではディーゼルエンジンは現在縮小気味であるが、ここや世界的に進むCO2削減やエコの動向など考えると、日本での採用にも期待したい。

【コラム⑦4WD車旅的持ち物アドバイス】

・スーツケースよりバックパックの方が車内スペース的に有利
・ ヘッドランプ・キャンピングナイフ(炊事、夜間作業に便利)
・ 携帯電話(アリスの街とユララでは普通にドコモが使えた・枝道に入る場合は衛星携帯)
・ 携帯機器の12v充電器
・ コンパス(GPS・枝道に入る場合)
・地図(給油、水情報の入っている物・枝道に入る場合はGPS座標入)
・自炊の場合はコンパクトな人数分のコッフェル、割れない食器
・シュラフ(車載の大きなセットや不要な装備は出発時に営業所に降ろしてゆく)
・ 蚊用防虫剤・蟻避け散布薬
・ハエ避けネット付帽子
・ 気温、湿度計(知らない方が幸せな事もあるが、わざわざ行くので持参したい・笑)



【Special Thanks・みなさんのお力添えで、この旅は実現しました】

・ 事前に現地の地図を手配してくださった・世界中の地図が日本国内で手に入る

T-MAPS 三ツ堀氏
http://www.rakuten.co.jp/t-maps/

・ 取れないはずの航空券の確保に尽力頂いた、エイチ・アイ・エス新浦安営業所:西村氏
http://www.lococom.jp/cu/his_187/

・ 4WD車両の貴重なアドバイスとこの掲載の機会を頂いた、船橋・マッドハウス:中村氏
http://www.mudhouse.jp/

・ キャンピング・レンタカーの相談、手配をして頂いた、U5・ユーファイブ社ネーチャーズ・ビート事業部:前田氏
http://www.naturesbeat.jp/

・ 車や旅のアドバイスをくれたランドクルーザー70オーナークラブの、気のおけない仲間たち
http://www.landcruiser70.orz.ne.jp/

・ なにかと入り用な時期に、快く送り出してくれた妻

・そして、私たちの旅に参加・出演して下さったみなさんに、深く感謝します。

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